1973-07-05 第71回国会 衆議院 決算委員会 第21号
しかも折原昭夫君が自殺をしたときの検視人であります杉戸署の刑事係長、警部補萩野好美君の検視したものの中に、六月一日昼ごろ同人が見えないため母親がさがしたところ、二階六畳の間で自殺していたもの。遺書はないが、ポケットに二人死亡五人大けがの交通事故の新聞の切り抜きを所持していた、こうあるのであります。これはどちらが正確ですか。
しかも折原昭夫君が自殺をしたときの検視人であります杉戸署の刑事係長、警部補萩野好美君の検視したものの中に、六月一日昼ごろ同人が見えないため母親がさがしたところ、二階六畳の間で自殺していたもの。遺書はないが、ポケットに二人死亡五人大けがの交通事故の新聞の切り抜きを所持していた、こうあるのであります。これはどちらが正確ですか。
それで、告訴取り下げの強要の事実の有無でございますが、佐賀署に告訴が出されたときに担当捜査官として指定を受けてこの捜査を行なっておりました捜査係が交通事故のために死亡をしたために、あらためて担当捜査官に指定されました刑事係長が前任者のつくった捜査状況を取りまとめていたところ、告訴人の第二回目の補充調書の中に告訴を取り下げてもよいと解される部分がありましたので、告訴人に告訴取り下げの意思の有無を確かめたところ
それから告訴取り下げのことで訪れたのはその中で一回あるわけでございますが、それは告訴人が告訴を取り下げる意思を表明したあとでございますが、刑事係長が、電話で、告訴取り下げ書を出すと言っていたけれどもまだか、こう尋ねましたところ、告訴人は、用事があれば家に来てほしいという先ほど申したとおりの返事で告訴人方を訪れたのでございます。
○政府委員(日原正雄君) 昭和三十八年の八月の十三日に、刑事係長が他の事件の捜査中、たまたま佐賀市内の道路で告訴人に出会った際に、二、三日したら告訴の取り下げ書を持って来ると言っていたがどうしたのかと、こう聞いたところ、告訴人が、いまここで書きます、こう言って、近くの文具店で用紙を買いまして、その店で自分の万年筆を使って書いて刑事係長に出したわけでございます。
この事案の発生に際しましては、警察といたしましては、一一〇番からの通報及び原宿署の巡査が、トラックにそういうような人夫が乗っていくのを見ましたというような速報などがありまして、直ちに原宿署の当直の刑事係長以下四名が現場に出動をいたしました。また四時三十数分ごろ署長以下署員二十四名、引き続いて機動隊一個中隊が出動をいたしたのであります。
そこで、この電話を受け取りました長野警察署におきましては、刑事係長の指揮によりまして、在署しておりました駒津、直橋両刑事を、なおその詳細を聞くために、長野公安調査局へ出張といいますか出かけさせたのでございます。いろいろ様子を聞きますと、大体の筋は電話でとりましたことと間違いないというような状況であったわけであります。そこで、これは一応恐喝の容疑ありとして警察活動をいたしたのでございます。
そうして母親が行ったときには、東警察署の刑事係長室、三階です。これは病体というよりも、老体であったら上っていくのにも苦しいのです。そこで取り調べられたらしいのです。
警察としましては、丸山という係長が——これは刑事係長であります。当時の事情を明らかにするために、少し詳しくなりますがお話申し上げますと、部下の藤森という巡査部長に——これは水害関係で、この前私の表彰も受けておるりつぱな警察官です。この男に、被疑者の白尾昭義という人は、自分はその暴行をやつたときに現場にいなかつたということで、アリバイを主張しておつたのであります。
これは警察では巡査部長以上ができることにしてありまするけれども、実際にはこの令状を請求する者は、私の県で言いますならば刑事係長、或いは職長から請求するのが大部分であります。それから刑事係の主任、これは警部補又は少数の巡査部長がなつておりますが、いずれにしましてもそういう面で専門的な教育を受けました者でございます。この署長、刑事係長、刑事係主任、この者に限つて令状の請求ができる。